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第3回 我が国における食品の品質衛生管理のすがた

2014.06.15

J・FSD㈱ 池亀公和

池亀 公和先生の略歴

  第2回のコラムでは、それぞれ国の事情によって食品衛生の内容も多少変わってくるために、海外の規格をそのまま受け入れるのではなく、我が国は我が国のベースにある見失いがちなレベルの高い衛生意識を大切にしたいものだという内容にした。

 したがって、さらに高見を目指す我が国の食品衛生は非常に繊細なキメの細かい考え方や作業が求められる。そして、第1回のコラムもその一つの例である。

 さらに、我が国の高い食品衛生および品質レベルを維持するために、非常に影響を及ぼしているインフラとしてコールドチェーンという仕組みがある。

 我が国におけるコールドチェーンは主に国内での野菜を中心にしたトラック輸送のものから、海外から主に船舶を用いたコールドチェーンなど規模も様々であり大変充実していると言える。

 そもそもこのコールドチェーンはいつどこで発生してきたのかと言うと、どうもアメリカらしい。映画「エデンの東」では、主人公の父親が野菜を氷と一緒に電車に積んで運ぶという事業を始めるという背景であった。あの時代設定は1920年ごろであったので、その頃がコールドチェーンの始まりかもしれない。しかし、このコールドチェーンという言葉は、アメリカでは遠くまで食料を運ぶことができるという情報が欧州に伝わり、欧州のメンバーが視察に行った際の報告書に書いたのが初めだったそうだ。

 しかし、アメリカにおける氷で冷やす食品の輸送がコールドチェーンとすれば、我が国においては既にかなり昔からコールドチェーンらしきことを行っていた。加賀藩では将軍への「献上氷」として、氷と同時に日本海で獲れる真鯛をも運んで献上したという文献が残されている。このころすでに、前田藩(というより雪国地方)では、氷でものを保存することを知っていた。従って、加賀から江戸まで氷で保存した真鯛を運んだということは、まさしく江戸時代のコールドチェーンといえるかもしれない。

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 1950年代後半になると電気冷蔵庫が普及し、先進国を中心にコールドチェーンはますます盛んになっていく。我が国でのコールドチェーンの普及は、1965年に科学技術庁資源調査会からいわゆる「コールドチェーン勧告」が出されるが、これは、高度経済成長を経て我が国の食生活が高度化・多様化する中で、栄養バランスの偏りが顕在化し健康に及ぼす影響が危惧される状況に警鐘を鳴らすと共に、健康で豊かな食生活を確保するために生鮮物を中心にした低温流通体系を整備する必要性を周知することにあった。

 この勧告の後、当時の農林省が中心になって全国各地に野菜・果実・畜産物・魚介類等の生産流通施設の整備がすすめられた。コールドチェーン勧告を契機とした、予冷や低温輸送・貯蔵と言った低温流通を中心とする技術開発により、我が国における食は、量的充足から質的充足への転換がはかられた。

 その結果、私たちは品質の良いいろいろな食品を手軽に購入することができるようになり、まさしく飽食の時代を迎える。

 そして食品の鮮度や品質を維持することができるようになってきたが、それで食中毒事件数が一時的にやや減少したものの、患者数はほとんど変わらない。つまりこれが食中毒事件の大型化につながった結果であろう。

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 この時代、食品流通にかかわる環境はめまぐるしく変化していき、食中毒に影響するファクターも非常に多く、一概にコールドチェーンの影響がないとは言えないが、この時代はまだ多くの食中毒微生物の感染量は10万個または100万個以上と言われていた。つまり、食品の冷蔵により食中毒が防げると考えられていた時代でもある。

 しかしながら、平成8年の腸管出血性大腸菌O157事件を境に少量感染菌の存在が明らかになってきた。近年では我が国の食中毒発生の約8割以上は少量感染菌によるものであり、食中毒の発生要因のほとんどが二次汚染によると考えられている。